ツイッターのbioに自己紹介が収まらない!①
どうも、私です。
ツイッターのプロフィール(=bio)って、文字数制限が160文字らしいんですよ。
多いと思うか、少ないと思うかは人それぞれですが、あそこは極力簡潔に、自己紹介というよりは人を惹きつける文と自分がどういう人なのかを本当に簡単に書く場所だと思うんですよね。
…そんなのは、また別の話で、
前置きが長くなりましたが私は、自己紹介で自分のことを知ってもらいたい、と思うけど、bioには収まりきらないんです。そこで、ブログに書き込む、と。
せっかく文才を磨く意味でもブログをやっているので、なんとかストーリー仕立てでプロフィールを書いてみようと思います。
目次をば
自己紹介の巻
プロフィールを語る
今年2018年は、多くのアーティストにとって20周年となったようです。自分も20周年。
1998年、東京都で生まれました。細かい場所は知らないです。
生まれた日はマザーテレサの誕生日と同じ日。
幼少期は東京で過ごしました。東京ディズニーリゾートに近いところに住んでいたらしく、年間パスポートを買って頻繁に行っていたらしいです。覚えてないッ…
幼稚園入園前に父の地元である愛知に引っ越し、それから今まで、ずっと愛知で暮らしてきました。
小学生に上がり、私はサッカーがやりたかったのですが、父親が野球好きだったこともあり、少年野球チームに入団。中日ドラゴンズの川上憲伸投手に憧れて、ピッチャーに立候補します。
土曜日曜は野球三昧。大変でしたが、充実した良い小学生生活だったと思います。
習い事として、スイミングスクール、英会話、公文に通いました。一時期はほぼ毎日習い事状態…
勉強は他人と競って勝つことが楽しくて、すごく頑張りました。
シャーロック・ホームズと出会う
小学校4年生、今思い出しても生涯で1番の恩師に担任してもらった時に、図書室でふとシャーロック・ホームズを読みました。
理由は覚えてないです。名探偵コナンの影響か、それとも直感でビビッときたのか…
はじめての推理小説を読んで、読書に目覚めます。
まず、図書室に入り浸り、図書室にあるミステリと思われる本をたくさん読みはじめます。
「シャーロック・ホームズ」「怪人二十面相」「アガサ・クリスティー」などなど…
ほぼ全部読んだんじゃないでしょうか。
お昼休みに外で走り回る体育会系男児たちをよそにずっと本を読んでいた時期が、あったのです。
そして、私が考えたのは、
自分はこれだけ小説に夢中になった。自分も、誰かをこれだけ熱中させられるくらいの物語を書きたい!
という発想。
親に頼み込んで、400字詰原稿用紙をたくさん買ってもらい、小説を書き始めました。これがきっかけで私は小学校4年生から3年間を自筆で、中学に入ってからはE☆エブリスタというサイトでネット小説を書いたのです。
そして、小4最後の授業参観…黒歴史だと思ってます。
たくさんの親御さんの中で、オリジナルの怪盗小説を音読するという。思い出すと痒くなります。これに関してはほぼセリフでしたし。
TCGの流行
それとほぼ同時期…転校生の影響で、小学校内でカードゲームが激流行りします。自分もその波に乗り、遊戯王TCGとデュエマを嗜みました。
お金のない小学生。かっこいいカードを手にすることができなかった私達は、パックを買うよりも画期的な方法を思いつきます。
それは、手に入らないなら作りゃいいんだ。って考えです。
厚紙をかき集めて私達はみんなで実在のカードを模写してデッキを作りました。
その熱がピークに達したころ、自分が初めに企画したのですが、クラスで1番絵が上手く、たくさんのカードを模写してきた、TCGブームの火付け役的転校生と、もう1人仲の良い友達を誘って、オリジナルのカードゲームをデザインしはじめたのです。
オリジナルといっても、実際のゲームソフト「高速カードバトル カードヒーロー」(リメイク待ってます)のほぼパクリですが…
つまるところ、遊戯王のペガサスですね。
カードの効果やルールをデザインしたのデース。
そんなこんなで、僕たちが作ったカードゲームも、流行り始めます。
こう思い返してみると、今やろうとしていることの大元を形成したのって、小学生時代なんですね。しみじみしじみ
中学時代は勉強
中学でも野球を続けました。変わらずピッチャーでしたが、肘を壊してしまい、思うように野球を楽しめない部活…
部活以外の学生生活としては、第一に勉強でした。
親が勉強頑張れ、というスタンスだったので、好きなことは二の次で勉強をさせられました。今思うとやってよかったのですが。
そんな私に火がついたのが、ある定期テスト時の契約。
「次のテストで上位3位以内になったら1万円ちょうだい」です笑
不純ですよね。でも、ご褒美ってすごい力を持っていて、必死で勉強して、なんと学年3位に!その前のテストで10位台だったから親も軽い感じで約束しちゃったんですね。
ざまぁみろ笑
自分の可能性と、分かるって楽しい、方って楽しいことに気づいた中学のテストでした。
高校受験は県内でもトップクラスの高校を志望して、見事合格しました。当時の偏差値は73。
今思うと信じられないです。
高校時代は挫折の連続
受験が終わり、野球部の友達みんな(ヤンキー多かった野球部)でカラオケに行きました。
以前からニコニコ動画の歌ってみたにハマっていた私は、ボカロ曲をたくさん歌いました。
ここで気づいたのは…
「自分って結構歌上手いやん」
です笑
歌ってみたに憧れを持っていたのと、歌がこんなに楽しくて、自分の世界を表現できるものなんだと知った私は、有り金はたいてDTMの機材と、宅録の機材を買います。
そして高校生。歌い手デビュー!
するも挫折!!
高校が遠く、部活もやっていた。しかも自称進学校の課題の多さに追われて趣味との両立ができない!
帰ったら疲れ果てて死んだように眠る。起きていても課題課題。
ミキシング技術の向上もクソもなく、動画を数本あげただけで、歌い手としてやっていくことを見送ってしまいました。
しかし、高校で新しく出会ったのが、先日記事にもしましたが、山本彩さん。
https://kurenainote.hatenablog.com/entry/2018/07/30/233750
彼女のパフォーマンスと生き様に感動した私は、シンガーソングライターを目指すことを決意します。
部活では怪我が続き、レギュラーとしてチーム内で活躍できないことがほぼ確定してしまいます。
でも、自分はこのまま負けることに抵抗し、試合で活躍できないなら、応援で活躍しようと、チームで1番、いや、会場で1番の声出し応援団長になりました。
ちなみに部活は、野球をやるには肘の怪我が致命的だったので、スラムダンクに影響されてバスケを始めました。
ただ、バスケでも肘の痛みは大きなハンデだったので、結局シュートを左打ちに矯正しました。
チームの同年代で1番ジャンプ力があって、180センチないながらもダンクシュートを極めました。まあ、試合じゃできないんですけどね。
勉強も、忙しさと周りのレベルの高さに圧倒され、上手い具合に進まず…底辺をウロウロするほどの成績に。
挫折挫折の連続の高校時代。自分のメンタルが弱かったっていうのもあるかと思います。
故に、やり直したい気持ちは強いです。
結び
今回の記事ではここまでとします。
大学生からは密度が濃いので、もうひと記事書けそうですので。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
続くんやで!